アリス・ダヴァゾグル(Alice Davazoglou)
『私はアリス・ダヴァゾグル/私は普通の21トリソミーだけど特別じゃない』
Je suis Alice Davazoglou / Je suis trisomique normale mais ordinaire
出版:オ=ドゥ=フランス地域圏国立振付開発センター(CDCN Hauts-de-France)〈レシャンジュール(L’échangeur)〉
出版年:2020年
値段:10ユーロ
公式HP:http://www.echangeur.org/section/Je-suis-Alice-Davazoglou-Je-suis-trisomique-normale-mais-ordinaire-413
(両表紙)
2020年末、出版されたばかりの白い小ぶりの本、『私はアリス・ダヴァゾグル/私は普通の21トリソミーだけど特別じゃない』が手元に届いた。
著者のアリス・ダヴァゾグルによるイラストに惹かれた、いわゆる「ジャケ買い」である。
ダンサーのアリス自身が「踊っている」デッサンは、本文に十ほどあり、「私の恋」「自立」「幸せ/喜び」「踊り」「パーティ」「からかい」「私たちは存在する」「尊重」「孤独」などの言葉に対する彼女の数行のコメントが、その間に散りばめられている(本の残り半分は、周囲の人たちが彼女の質問に答えるかたちで、アリスによる彼らのデッサンが添えられている)。
表紙のアリスの姿勢は、バレエのお辞儀にも似ているが(表紙ということでそうしたのかも知れない)、半つま先立ちで大きくカーブを描く前屈、微笑みを口元に浮かべながら閉じた瞳は、よりダイナミックな重力との関係と内省的な色合いを感じさせる。
本文のデッサンに現れるその他の姿勢は、「典型的な踊りのポーズ」からさらに遠い。にもかかわらず、「ダンサーの身振り」以外の何ものでもなく見えるから不思議である。
例えば、「尊重(Respect)」についてのコメントがある頁には、両足を肩幅よりやや広く開いて立ち、上半身と頭部を左側に少し傾け、右腕を曲げて、右手を右脇腹のやや上に置いている、動きの少ない人物像が描かれている。ただし、左足のわずかな屈折に現れる重力の移動、左手の指先のわずかの長さの違いから感じられる腕のねじれ、頭部と右腕の線上に浮き上がる筋肉の緊張、そして閉じた両目と少し開いた口によって、読者はそれが単なる立ち姿でないことを一目で「感じ取る」だろう。
この人物は、ある「形」を踊っているのではなく、自らの身体感覚を、身振りを通して外部にあらわしているのであり、その表情は、身体内部へ感覚を研ぎ澄ます者のそれである。
自らの身体感覚を観客に伝達する術を磨く者、つまりはコンテンポラリーダンサーなのである。
身体感覚という側面に深く関心を持つ、また敏感なダンサーの実践が、ワークショップや中小規模の上演を中心にフランスでは広く普及している。
シルヴィアーヌ・パジェスによれば、戦前のモダンダンスに遡るこうした実践は、ソマティクスなどのボディワーク、さらには暗黒舞踏の輸入を通じて現在のコンテンポラリーダンスの文脈に深く入り込んでいるというi。
アリスの描く人物たちから身体的な感覚が伝わってくるのは、彼女が単にダンサーであるだけでなく、母親であるフランソワーズ(Françoise)とともに次のようなワークショップを導くファシリテーターでもあるからだろう。
私たちが取り組むのは「ダンス創作(danse de création)」という潮流で、即興したり、その場で踊りをつくったり、スコア形式の振付テキストを用いたりします。ワークショップは「ゲームのルール」という形で提案されることで、探求を可能にし、最終的には各参加者のユニークな答えを引き出すのです。ヴァリエーションを習う、というような作業はありません。
こうした実践の目的は、空間、時間、体重、流れといった基礎的なものを体験し、身体の想像界を発展させることです。動きながら、知覚や感覚、自己意識を働かせます。
そうすることで、個的なものと共通するものの交流が互いに作用し合う空間がつくられます。
自己を意識し、他者を意識し、集団を意識すること、そしてそれが今その瞬間に起ることが重要なのです。ii
また、アリスとフランソワーズが立ち上げた団体「ART21」(Association Regard Trisomie 21)のワークショップでは、2013年のその創立から、フェルデンクライスメソッドを習得したダンサー、ナタリ・エルヴェ(Nathalie Hervé)によって、ソマティクスの実践とダンスワークが深く結びつけられている。
彼女がアリスに振付けたソロ作品《UniversAlice》は、2015年にラン市のアート&レジャー館(Maison des Arts et Loisirs de Laon)で初演され、2018年にフェスティヴァル「セ・コム・サ」(シャトー=ティエリ市の〈レシャンジュール〉)でも上演された。
《UniversAlice》(2015年)・ART21のホームページより許可をとって転載
(https://assoregardt21.jimdofree.com/cr%C3%A9ations/)
新型コロナウィルスが再びフランスで感染拡大をみせた2020年11月、ミカエル・フェリポ(Mickaël Phelippeau)振付の《フランソワーズからアリスへ(De Françoise à Alice)》が、ルマン市国立舞台〈カンコンス・レスパル(Quinconces L’espal)〉にて無観客で初演された。本作品は、「出会いのための口実」と副題のつけられたフィリポのプロジェクト「bi-portrait」に含まれる。2019年から続いたアリスとフランソワーズ、そしてフィリポの長い対話の末に生まれた作品であった。
このデュオ作品を書き、実現するのに時間をかけました。その時間は贅沢なだけでなく、一緒に進めていく上で欠くことのできないものでした。アリスの時間に合せる必要がありました。アリスにとって、私たちがよくそうするような、10時から18時いっぱいまで行う稽古は無理でしたから、より短く、より余裕をもった時間が必要だったのです。これまでとは違う時間との関係をもてたことは、とても重要でした。おかげで、アリスとフランソワーズの間にあるさまざまな結びつきの複雑な位置関係や、彼女たちが互に補い合ういくつかの相違に対して、踊りというレベルだけでなく、人としてとりかかることができたのです。iii
ボディワーク、感覚への働きかけ、対話を通じた創作、(オート)ポートレート。
コンテンポラリーダンスの多様な要素を通じて、アリスは感覚する身体を、そして他者との関係性を舞台の上で提示する。
それは、賞讃と議論を同時に引き起こしたジェローム・ベルの《Disabled Theatre》(2012年初演)に出演したHORA劇団の俳優たちの間にも垣間見られたが、この著名な演出家の視線はそちらの方へ向けられていなかったように思う。
《De Françoise à Alice》(2020年)・「bi-portrait」公式サイトより許可をとって転載
(https://www.bi-portrait.net/fr/pieces-choregraphiques/de-francoise-a-alice)
「亡くなる前にお父さんは私に、ママをよろしく頼むと言ったの。だからこの作品では、私はママの面倒をみている!それらはとても印象的な場面になった」iv
アリスから本の「序文」を書くよう頼まれたパリ第8大学舞踊学科教授のイザベル・ジノは、「序文」の作者としてではなく、アリスとの「会話」の相手として参加することを逆に提案した。
最後に、この二人の「会話」の一部を訳出したい。
イザベル・ジノ:アリス、あなたの本は、その構想が政治的でもあるね。あなたはこの本の作者なわけだけど、同時に、この本を友達と共有している。それは、作者としての非常にユニークなあり方だ。多くの場合、作者というのは、自分が自分の考えの唯一の所有者であると感じたがるもの。あなたは逆に、自分の名で言葉を発しながらも、一緒にいること、集団で生きること、障害のある友人、ない友人、他の人々と一緒に考えることの重要性を語っている。そうしてこの本は、あなたとその人々が形づくるコミュニティの存在をよく示している。つまり、あなたたちはそこに存在していて、一緒にいて、そしてあなたの言葉はそのコミュニティからもたらされているということだ。
アリス:以前私は、自分をひとりぼっちと感じていた。団体「ART21」を設立して、この本に登場するすべての友人たちと出会った。私と同じダウン症のアガートともそこで出会い、彼女は私のパートナーとなった。自立のために、私たちは一緒にいる必要がある。私は自分のアパートで生活し、今はアガートと一緒にそこで住み、彼女は私の生活の一部になっている。彼女のおかげで、体重を減らすこともできるし、食事の質も上がる。一緒に料理をして、夕べをどう過ごすか計画することもできる。自立を選ぶのは多くの勇気が必要だけど、私たちだけでできないことは、手伝ってくれる人がいる。家族はとても大切だけど、それだけに依存することはできない。例えば社会生活介護士のような、他の解決策を探さなくては。自立するためにね、これは両親のもとに留まる人たちにも言えること。自分のアパートに住んで、アガートと暮らしていることは、私の誇り。一緒に生きる必要がある、幸せに、恋し合って、自分たちの望む生活を送りながら。障害のない人たちは、このことを学ぶ機会があるのかな?
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〇アリス・ダヴァゾグル(Alice Davazoglou)
1985年生れ。小学校2年生のときに〈統合学級(CLIS)〉に入り、中学で〈それぞれに合せた一般教養及び職業教育セクション(SEGPA)〉、その後、ヴィレ=コトレ市(オ=ドゥ=フランス地域圏)で最初の〈統合教育ユニット(UPI)〉へ進んだ。その地のジュリ・ドビエ職業高校で職業適格証(CAP)を得る。個人事業主(micro-entrepreneur)として物流株式会社カイユで働く(ART21立ち上げのため退職)。ラン市の中世都市エリアにあるアパートで一人暮らしを始め、現在はパートナーであるアガートと暮らしている。
7歳で踊り始め、20歳から十数年、ラン市のコンセルヴァトワールでコンテンポラリーダンスのクラスを受講。2013年、フランソワーズおよびジョエル・トゥルブと共に「ART21」(Association Regard Trisomie 21)を創立。以来、子供や課外活動の生徒を対象にしたワークショップ、ダンス・プロジェクトの活動などの共同ファシリテーターをつとめる。2017年、学校機関でダンスを教えるための教育省認可を取得。ラン市の教職教育高等学院(ESPÉ)、社会文化活性スペース(ESCAL)、社会医療機関など多様な場所でワークショップを開いている。国立舞踊センター(パンタン市)より2020年度の「研究と遺産」プログラムの助成を受ける。
2021年3月、フランスで最初の〈アダプティッド・クリエーション(それぞれに合せた創作)の国立センター〉(ブルターニュ地域圏のモルレ市にある、タバコ工場を改装し2020年にオープンした文化センター)の最初のレジデント・アーティストとして、アリスとフランソワーズ、振付家ミカエル・フェリポの3人が選ばれ、《フランソワーズからアリスへ》を上演した。
21番染色体を3つ持つダウン症候群。
〇フランソワーズ・ダヴァゾグル(Françoise Davazoglou)
1960年生れ。幼稚園・小学校教員。エヌ県国立振付開発センター(シャトー=ティエリ市〈レシャンジュール〉)と共同で、娘アリスとともに学校でのダンス・プロジェクトを行っている。2011~2012年、パリ第8大学の養成講座「身体技法とケアの世界」を修める。2014年、修士論文「Geste artistique, geste politique, la danse peut-elle être porteuse de Trisomie 21 ?」を同大学に提出。現在、博士論文「Danse et condition handicapée : quels pouvoirs d’agir ?」を執筆中。
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インターネット上で閲覧可能な書評(フランス語)
・Mouvement : https://www.mouvement.net/critiques/critiques/je-suis-alice-davazoglou
・Le Monde : https://www.lemonde.fr/culture/article/2021/04/21/alice-davazoglou-danse-et-dessine-son-exception_6077472_3246.html
(文責:北原まり子)
i シルヴィアーヌ・パジェス『欲望と誤解の舞踏――フランスが熱狂した日本のアヴァンギャルド』、パトリック・ドゥヴォス監訳、北原まり子・宮川麻理子訳、東京:慶應義塾大学出版会、2017年、とりわけ第六章「感覚のなかの他所」(161~198頁)
ii 2021年7月、私の質問にフランソワーズがメールで返答してくれた(当時アリスはレジデント・アーティストとして忙しく、返答のための時間が取れなかったが、私の質問の内容に目を通した結果、フランソワーズは自身で返答可能と判断した)。
iii LeMonde,le 22 avril 2021, p. 22.
iv 同上。