お話の内容は、オリエさんが職業修士課程を経て劇場に就職するまでの、2010年頃の状況を反映しています。個人の体験談であり、また、現在では状況が異なる可能性があります。関心を持たれた方は、詳細について、各関係機関へ直接お問い合わせください。
○はじめに
「劇場で働きたい」と考える若者は、少なくありません。
ただそのために、何から始めればいいのだろう…と戸惑う人も多いのではないでしょうか。
日本では、気になる分野でボランティアやアルバイト、インターンをしたり、知り合いを通じてコネクションを得たり、文化機関の公募にトライするなど、方法は様々なように思えます。
一方フランスでは、劇場を含む文化機関で将来働くための、広く共有されている一つのメジャーな「通り道」があります。
それが、「職業修士(Master professionnel)」という学位です。
例えば劇場では、芸術監督を含む芸術部門、照明・音響などの技術部門、チケットや客席案内などの表に見えやすい職業がありますが、そうした各部門をつなぎ、戦略的に劇場を管理・経営するための大変重要な役職があります。
ジュヌヴィリエ劇場では、「経営管理・制作(Administration & production)」部、「広報(Communication & relations avec le public)」部がそれを担っています。
オリエさんは、この「経営管理・制作」部に、経営管理責任者、会計士と共に所属しています。[1]
こうした経営管理や広報などの部門で働く人は、「職業修士」の学位を有するのが今日のフランスでは一般的と思われます[2]。
この「職業修士」は、研究に特化した「研究修士(Master recherche)」とは区別され、その主な特徴として、在学中に長期のインターンシップ(stage)が課せられます。
フランスの大学院へ留学する日本人学生のほとんどは、研究修士を選ぶ人が多いでしょう。
一方、ある分野の知識を深めると同時に、その分野の現場への就職にフォーカスをあてる人は、「職業修士」を選ぶ傾向にあります。
これは今日、就職することを目的としてフランスに留学する、外国人学生の多くが選択する道でもあります。
今回のインタビューでは、職業修士という今日のいわば「古典的」な通り道を経て、現在劇場で働くオリエさんに、就職までの道のりをお話しいただき、日本ではあまり知られていない、フランスの職業修士という制度と劇場への就職について、お伝えしたいと思います。
今後、フランスへ留学する方の選択肢、また、学位と就職先の関係を考えるうえで、一つの参考になれば嬉しいです。
○クリスティン・オリエさん略歴・業務内容
フランス西部ブルターニュ地域圏出身。
子どもの頃からアマチュア演劇に参加、高校時代も演劇を専攻(文学でバカロレア[3]取得)。
レンヌ第二大学(ブルターニュ地域圏)の舞台芸術学科に入学。毎年インターンをし、また、ボランティアとして大学の演劇フェスティヴァルに積極的に関わる。学士号取得(正式名称:Licence d’Études théâtrales)。
レンヌ第二大学(マルヌ県)の舞台芸術科の研究修士課程に進学。翌年、修士論文を提出し、学位「マステール・アン」を取得(正式名称:Master 1 Recherche Etudes théâtrales)。
ランス大学の職業修士課程に進学。翌年、学位「マステール・ドゥ」を取得(正式名称:Master 2 Professionnel « Droits des collectivités locales et des entreprises culturelles », spécialisation « décentralisation et administrations des entreprises culturelles »)。
卒業後、文化系の大手就職サイト「ProfilCulture」[4]に登録し、就職先を探す。
パリ郊外ドヴィルパンに拠点を置く小規模な劇団に、産休者の代理として即就職が決まり、六か月間の契約で、「経営管理」担当として働く。
一か月間の失業手当受給期間を経て、2011年6月に、三日間のフェスティヴァルのために、二か月半のCDD(有期雇用契約)としてジュヌヴィリエ劇場に就職。
2011年夏、当時の芸術監督パスカル・ランベールの『愛のおわり(Clôture de l'amour)』[5]が大当たりし、国際的な巡業のため、ジュヌヴィリエ劇場は急きょ人材が必要となる。
9月、そのまま同劇場にCDI(無期雇用契約)の「制作補佐(Assistance de production)」として再就職。その後、「制作担当(chargée de production)」に昇進、今に至る。
オリエさんが普段している業務は主にデスクワークで、①予算遂行のフォロー、②自主公演・共同制作作品・購入作品の受け入れ、ツアーに関する業務全般(プランニング、アーティストおよび作品の契約書作成、物流・人の移動に関わる業務、交渉、コンタクトなど)。
就業時間は基本的に10~18時で、公演のある月は、劇場の責任者として夜や週末に勤務する担当日が数回割り当てられる。
芸術チーム、技術チーム、経営管理部をつなぐ「かなめ(pivot)」のような業務だと言う。
○インタビュー抜粋
(1)劇場での就職を考えたきっかけについて
――いつ劇場で働こうと思い始めたのですか?最初から、「劇場で働きたい」と思っていたのでしょうか。それとも、「文化部門で働きたい」というところから、ながれで劇場に行き着いたのでしょうか。
オリエさん:そうですね、より広く、文化部門で働きたいと考えていました。劇場に限っていたわけではないですが、小さい頃にアマチュア演劇をしていて、高校では文学バカロレアで演劇を選択しました。つまり、小さいころから演劇の環境に浸かっていたことは確かで、演劇は好きでしたし、演劇界で働きたいと思っていました。そして、就職活動をして、うまく就職できました。
もちろん、キャリアを続ける中で、ダンス界やサーカス界で働くことも全然あると思います。別の分野も好きですから。ただ、演劇が一番身近でしたね。
――なるほど、子供時代から演技者として演劇に関わっていたのですね。ところで、取得した学位はアーティストではなく、経営や管理の方ですね。それはなぜですか。
オリエさん:プロの女優になろうと思ったことは一度もないです(笑)。演技をしていたのは、本当に余暇を楽しむためだけでした。
「制作」の仕事とは、プロジェクトをうまく実現させることです。その点に興味がありました。
――職業修士に進む前に、劇団等の運営に関わったご経験はあったのでしょうか。学生演劇や、アマチュア演劇などの裏方をしたりなど…。
オリエさん:学部生だった時、インターンをしました。文化部門で働きたいと言っていたので、周りからそうするよう勧められました。研究課程(Recherche)でしたが、経験を積むためにインターンをするよう勧められたのです。結果、毎年いろいろな機関でインターンをしました。
また、うちの大学では演劇フェスティヴァルが毎年開催されていて、それを運営する学生団体に参加していました。
自分で舞台に立つことは、大学に入る前にやめてしまいました。
学生団体の方は完全ボランティアで、インターンは別の機関でしていました。
レンヌ第二大学では、学部(Licence)と研究修士「マステール・アン(Master 1)」を修めました。
(2)修士課程に関して
――つまり、研究修士を一年したあと、職業修士に移ったということでしょうか。
オリエさん:そうです、職業修士に進みました。二年間で、研究修士「マステール・アン」と職業修士「マステール・ドゥ」を修めたことになります。
――どちらも同じ大学だったのでしょうか。
オリエさん:大学によって、修士課程はさまざまです。〔…〕ブレスト市、リヨン市、リール市、パリ市などが選択肢と思いますが、私はランス市で職業修士の学位をとりました。
例えば私のマステール・ドゥの正式名称は「地方自治体および文化事業の法律学」です。〔…〕つまり、この修士は「公法」と呼ばれるものについての課程ということです。
また、さらに専門として「文化事業の経営管理」と書かれています。つまり、いろいろな課程に繋がることができるのです。この部分は法律に繋がっていますし、演劇の課程にも、法律の課程にも繋がることができるのです。
――なぜ、研究修士に進んだ後、翌年に研究修士に変えたのでしょうか。[6]
オリエさん:「変えた」という訳ではないです。研究修士「プラス」職業修士ですね。文化事業で将来就職するために、このまま大学で続けるのであれば、職業修士をとって卒業する必要があると認識していましたから。職業修士を最終的に手に入れるために、研究修士を二年間やり遂げる必要は必ずしもありません。仕事を見つけるのに、支障はないのです。
――つまり、途中で心境の変化があって「変えた」のではなく、最初から研究修士「プラス」職業修士でいくぞ、と計画していたのですね。
オリエさん:はい。というのも、この職業につくためには、どうすればよいか、何を学べばよいか、というのは知らされていましたから。その可能な道の一つを私は選んだということです。
大学に入学して、学士とマステール・アンをしたのち、興味のある職業修士課程を探して申請し、選抜されました。研究修士に進む際は、選抜はありません。学部も選抜はないですね。高校卒業後、登録するだけです。
職業修士に進学する際は、選別があります。それが大きな違いですね。
――「選別」とは具体的にどのようなものですか。
オリエさん:まず書類ですね。普通の提出書類に、動機を書いた文章を添えます。何をしてきたか、どんなインターンを経験したか等を含めた動機書です。
それらの書類審査をパスすると、面接に呼ばれます。それに通れば合格です。
――「選別」は大変でしたか。
オリエさん:そうですね、少し準備する必要がありましたから。
選抜があるのは、受け入れ人数に限りがあるからです。細かく覚えていませんが、一クラス三十人ほどでしたから。選抜する必要があるのです。
――それ以前のインターン等の活動も、その「選抜」のため、という所もあったのでしょうか。
オリエさん:そうです。学部一年の頃からインターンを毎年しました。はっきり必要性を認識していたのです。
というのも、すでに学部一年の入学時から、舞台の経営管理の分野で働きたいなら、そうしなくてはいけない、と私たちは言われていました。研究課程だけでは十分ではないと。それは、かなりはっきりと言われていたのです。
プロとしての経験を積むためにインターンをしなくてはならない、そしてさらに職業修士をとらなくてはならない…それは最初にまず教えられて、私はそれに倣ったのです。
――他の方法というのもあるのでしょうか。
オリエさん:選択肢として、パリ政治学院(Institut d'Etudes Politiques de Paris)もありますね。文化事業の経営管理に関するよい課程があります。
また、さまざまなビジネススクール(écoles de commerce)もあります。
経営や文化施設、文化事業の経営管理などの課程は増えつつあります。
――広く「文化」の課程ということであれば、劇場だけでなく、美術等の他分野の人も入るわけですね。
オリエさん:そうですね。もしビジネススクールで、オプションの「文化事業の経営管理」を選択したとして、さらに演劇界にあまり詳しくないとなると、求人に応募した際に、大学の学位を持っていて、インターンの経験も豊富で、文化分野がどのように機能しているかを分かっている人の方が、チャンスはあると思います。
つまり、もちろん教育機関も大事ですが、その世界をあまりに知らないとなると、ちょっと難しいかも知れません。
――職業修士の課程の教師陣には、実践の方も多いのですか。
オリエさん:はい。両方のタイプの先生がいます。
例えば、経理の専門の先生がいます。予算の管理に必要な教科に含まれます。
また、例えば、地方自治体に関する科目では、文化事業の経営管理の機能の仕方、地方の文化担当責任者の職務などを学びます。
こうした非常に理論的なものは、専門の教授が担当します。
また、特別に話をしに来る講師として、その業界のプロ、劇場の経営管理の責任者などもいます。劇場のディレクターとか。
――職業修士課程でのインターンについて教えてください。
オリエさん:私は三か月しました。期間については、大学や課程によって異なります。
パリの、小さな音楽レーベルでしました。音楽家をプロデュースする会社です。
――職業修士課程での英語教育はどうでしたか。
オリエさん:フランスは、近隣の国、ドイツや北欧と比べると、英語教育は発達しているとは言えません。
ただ、大学時代を通して、常に英語のクラスは履修していました。演劇に特化した英語の授業もありましたが、それほど綿密なものではなかったですね。
劇場で働くようになってから、海外の人と話さなくてはならない状況に直面して、上達していきました。
(3)就職に関して
――先ほど、現在のお仕事は、大学を出てから二番目の就職先とおっしゃっていましたが、最初の就職先はどのように見つけたのでしょうか。
オリエさん:大手の文化系求人サイト「ProfilCulture」で見つけました。舞台関係が主ですが、映画や映像、いろいろな芸術分野、文化遺産、それから出版なども含まれていた気がします。
修士を終えてから、そのサイトで一つ求人を見つけて、すぐに応募しました。
セーヌ=サン=ドゥニ市(パリ郊外)にあるヴィルパントの演劇カンパニーでした。
パリを選んだのは、やはり求人が多いですから。まず始めるのには適していますよね。
――その劇団での職種はどういったものでしたか。
オリエさん:経営管理担当(chargée d’administration)でした。
その劇団は小さな拠点を持っていて、そこで、演劇のクラス、作家やカンパニーのレジデンスをしたり、自分たちで公演を打ったりしていました。
それらすべての運営を私が担っていました。カンパニーにも経営管理の責任者がいて、彼女は女優も兼業していましたが、その人と一緒に運営のフォローをしていました。
期間は六か月間で、産休の方の代理でした。産休の方の代理という形で最初の仕事を得るというのは、よくあることです。
最初に見た求人で、応募して、すぐに採用されたので、ついていました。
――六か月働いて、失業者(chômage)になって、また就職活動をしたということですか。
オリエさん:一か月、失業していました。
――今回の就職も、やはりそのサイトで求人を見つけたのでしょうか。
オリエさん:同じ方法ですね。
ただ、その時出ていたジュヌヴィリエ劇場の求人は、制作のインターンの募集でした。
二度目の就活では、決まるまでずいぶん応募しましたよ。
そのジュヌヴィリエ劇場のインターンの求人ですが、サイトからすぐに取り下げられたのに気づきました。
そこで、いわゆる「自主応募(candidature spontanée)」をかけてみました。
「自主応募」というのは、求人が出ていない職に対して、自分から応募することです。
例えば、「オペラ座で働きたい!」と思っている人が、「貴社の制作でどうしても働きたい」という旨の応募を自分から送る、という感じです。
先方がちょうど働き手を探していたり、ちょうど求人を出す前だったりすれば、返事があることもあります。
結構、こうして決まることもあるのです。
送られてきた履歴書を見て先方が、「三か月後にポストがあく予定です」と告げてくることもありますし、また、必要がなければ返事は来ません。でも、結構あたることもありますよ。
そこで、私もその「自主応募」をしたわけですが、相手から電話が来て、「実はインターンが必要だったのではなく、ポストが一つ空いているのだ」、と。ついていました。
ということで、二か月半の有期限雇用(CDD)でこの劇場に雇われました。
劇場は、六月に三日間行う小さなフェスティヴァルのために、働ける人を探していたのです。
六月にはさらに、私の仕事を手伝う人も採用しています。
そして何が起こったかというと、2011年7月に、当時のジュヌヴィリエ劇場の芸術監督だったパスカル・ランベールが、新作『愛のおわり(Clôture d’amour)』を上演しました。
それがすごい成功を博して、フランス中を巡業し、また海外ツアーも行いました。
日本にも行きました。日本ヴァージョンで、日本人の二人の役者で、別れたり傷つけ合ったりするカップルの話です。
そうしてたくさん巡業することになったので、劇場は人手が必要になりました。
私は九月まで劇場に残ることになり、無期限雇用(CDI)として雇用されたのです。
つまり、制作の活動が増え、制作の人手が必要になったのですね。
その作品の巡業もありましたが、他の作品もつくりましたし、それもまた結構巡業して…と、仕事が急増したのです。それで私は劇場に残ることになりました。
つまりそうした「偶然」というものもあるのです。
――印象ですが、フランスではそうした「偶然」や「口コミ」みたいなものも、結構機能する気がしますね。
オリエさん:そうです。求人サイトの情報も豊富ではありますが、働き始めると経験値が上がりますし、一度この業界に入ればネットワークもでき、コネクションも至る所にできます。
「そうそう、どこどこの劇場の責任者がもうすぐ辞めるみたいよ…」、みたいな情報が入ってきたりして。
つまり、いろいろなものが混ざり合わさっているのです。
学位も必要だし、経験も必要だし、ネットワークも必要ですしね。
――ところで、職業修士課程で受けた教育と、現在の仕事はつながっていると感じますか。
オリエさん:感じますね。職業修士の「職業」というのもその意味ですから、目的がはっきりしています。つまり、いろいろな道具を授けてくれるのです。
私たちは常に予算とにらみ合っているので、経営管理の仕方を知っている必要があります。
外国のアーティストを雇う場合、外国から招聘する場合、子供を雇う場合、どう進めればよいのか。
そうした、非常に実用的な教育が必要になるわけです。それが職業修士課程です。
そういう意味で、受けた教育は役立っています。
ただ、より重要なのは就職することですね。
役職についてから、具体的に学ぶことも多いですし、自分の職務について真に学ぶのはその時です。もちろん、そのために学んだ基礎も大事ですが。
(4)就職後のキャリアの可能性について
――「経営管理」という専門化された学位を得て、その専門部署で働いていらっしゃいますが、その中で自分のキャリアをどのように発展させることができるのでしょうか。
オリエさん:昇進に関しては、二つの点によります。劇場の活動の変化と人事異動です。同じ劇場内での異動もあります。
例えば、私は2011年9月に無期限雇用で再就職したときは、「制作アシスタント」でした。
それから、仕事が入って、責任が増して、「制作担当」に昇格しました。初めての昇進でした。
また、昨年一月に芸術監督が変わったのですが、2011年の時点では、制作には二名のスタッフがいたのです。つまり、私の上に、もう一人いました。
その上司だった「制作部長(directrice de production)」は、昨年一月に退職しました。そのため、現在は私がひとりで制作を担っています。
私がもう一段昇進するとすれば、例えば、「制作の経営管理責任者(administratrice de production)」になるかもしれません。
つまり、実際にはいろいろな要因があります。
自分の上にいる人が去らない場合、ちょっと難しくなりますね。また、自分の上にいる人が突然退職したら、可能になりますし。
それから、はっきりとは言えませんが、仕事ぶりが評価されたり、劇場の活動に変化があったり、突然仕事が増加したりして、責任が増えた場合、昇進することがあるかも知れません。
――別の劇場に転職することで、キャリアを発展させることもあり得ますか。
オリエさん:明日、劇場を去ることを決意して、再び就活を始めても、全く問題ありません。〔…〕
――ここにいらした2011年以来、周囲でスタッフの出入りは頻繁にありましたか。
オリエさん:少しありましたね。
――フランスでは、転職はよくあることなのでしょうか。
オリエさん:ええ、かなり簡単に転職します。よくありますね、十年くらいで、別の場所に変えるというのは。
でもそれは社会の変化でもあります。日本がどのような感じか分かりませんが、フランスでは三十年前とか、私の祖父母の世代では、例えば二十一歳で就職したなら、退職まで一つの場所でキャリアを積むのが普通でした。
今はもう、そうではありません。
五年とか十年とか働いて、場所を変えるというのはかなり一般的です。
――最後の質問ですが、今の仕事には満足していらっしゃいますか。
オリエさん:満足しています。六年働きましたが、キャリアを発展できたのには満足しています。最初の三か月はパートタイムでしたから。それからフルタイムに昇進しました。
責任のある仕事もいくつも与えられ、こなしてきました。
この劇場で働いて、いろいろなことを知ることができるのは面白いですよ。
今の芸術監督(ダニエル・ジャンヌトー)は着任したばかりなので、新しい人です。
芸術監督は文化大臣が三年間の任期で任命します。
最初の任期が四年で、それがうまく機能すれば、さらに三年の任期を二回延長することができます。つまり最大十年可能です。
私は、一人の芸術監督(パスカル・ランベール)と五年間仕事をして、その後芸術監督が変わりました。つまり、新たなプロジェクト、新たな人です。
そうしたダイナミスムの中で、いろいろと学んでいき、働かなくてはなりません。
ここで働く面白さは、まさにそこですね。
(文責:北原まり子)
[1] ジュヌヴィリエ劇場のスタッフ一覧(ジュヌヴィリエ劇場HP)⇒http://www.theatre2gennevilliers.com/lequipe/
[2] 例えば、フランスで出版されている舞台芸術の職業専門誌『La Scène : le magazine des professionnels du spectacle』(1996年創刊)には、「劇場の事務局長(Secrétaire général de théâtre)」「劇場の経営管理者(Administrateur de théâtre)」「契約取りつけ(Booker)」「広報担当者(Chargé de communication)」「公演担当者(Chargé de diffusion)」として現在働いている人の職業に関するインタビューが連載(シリーズ「Fiche Métier」)されており(2016~2017各号)、彼らの受けた高等教育について知ることができる。また同誌では、「Master 2をとった後、どうしよう?(Que faire après un master 2)」(2016夏号)、「働きながらMasterを取得するために(Bien préparer son master « en alternance »)」(2017夏号)といった記事も見られる。
[3] 高校の最終学年で受けるフランスの国家資格。中等教育修了および、高等教育機関(大学など)への入学資格を証明する。
[4] https://www.profilculture.com/
[5] 2011年夏、アヴィニョン演劇祭で初演され、その後フランス国内で数々の賞を得る。日本版は、2013年に静岡芸術劇場(SPAC)にて初演された。http://spac.or.jp/13_cloturedelamour.html
[6] 研究修士、職業修士のみを二年間行う課程もあるため、この質問をした。